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【特別企画】教員と在校生による座談会
「京大での学び」

新入生のみなさんはこれからはじまる「京大での学び」にどのようなイメージをもっていますか?この座談会では先輩京大生と先生方でそれぞれにとっての「これまでの京大での学び」を振り返ってみました。単位をとるだけではない、これから4年間(または6年間)に出逢う、あなたの「京大での学び」を先輩の経験からイメージしてみましょう。

教員

梶田 将司 先生 情報環境機構

金丸 敏幸 先生

国際高等教育院附属国際学術言語教育センター
塩瀬 隆之 先生 総合博物館

学生

安藤 悠太 さん 工学研究科 修士1回生
井上 奈弥子 さん 文学部 4回生
守屋 健太 さん 理学部 3回生
岩本 麻紀 さん 工学部 2回生
建部 壮一郎 さん 法学部 1回生


私たちが京都大学で学んできたこと

今年は大学に入って大きく環境が変わって、一番変化を感じた年でした。「自分で学ぶ」ということが必要だと実感したというか、答えのない問いに対して向かうことが高校時代と大きく違うと感じます。授業だけではなくて、自分が興味を持ったことは自分で本を読んでみるようにしていて、本を読む機会が増えました。授業の中で先生が薦めた本や自分で見つけた本など、授業で受動的に得た知識だけでなく本から得た知識も自分の身についているとすごく感じます。

 


大学に入って下宿生活を始めて、やっと慣れてきたかなというのが2回生ですね。目の前のことに追われることが少なくなってきて、その時に感じたのが、周りの先生や先輩に比べて、自分の意見を持たないといけないと感じることが多くなってきました。人の意見を聞いて初めて「そうだ」「そうじゃない」といったように自分の思考回路が初めて動き出すことを感じています。一人で考えていても自分の考えでしかなく、幅が狭くて、人の意見を聞いて自分の意見が作られ、それを発信して初めて、そういうサイクルの中で自分のやりたいことが生まれてくる、そういうことを2回生になって感じています。

 


3回生になると専門科目の勉強が本格的に始まって楽しいです。同じ専攻の周りの友人も真剣に考え始め、今までと違う深い話ができるようになりました。特に実験が多くなってきたのですが、学生が自分で考察することが求められるため、教科書をなぞるだけではない勉強になっています。
 一方、他の学部や専攻の友人と話すこともあり、新しい気づきがあって面白いですね。僕の場合は現代史に興味があるんですが、それも周りの先生や友人の影響です。自分の専門だけでなく他の勉強にも目が向くようになったのは、大学の勉強に慣れてきた3回生からかなと思います。

 


私は4回生になって達成したと思うこと、後悔していることとがひとつずつあります。3回生の終わりからイギリスに留学して、英語力がすごく伸びました。留学資格のための語学学習を頑張ったことには満足していて、達成感もあります。
 反面、自分の専門分野については後悔が大きくあります。3回生になって社会学専修を選んだんですが、消去法で選んだので、進むにつれあまり興味が持てないことに気付きました。文学部の中でも社会学は実践的だと思っていたけど実際はそうでもなく、そういうこともわからないまま選んでいました。そのままなんとなく単位を取ってきましたが、4回生になった今、京大で何を学んできたのか、という焦りがあって今日に至っています。

 


僕は入学時、「好きになれるもの」を見つけたいと思っていました。工学部は一般教養※で数学とか物理など基本的な内容から学びますが、高校で習ってきたことの延長に思えて面白くないと感じてしまいました。授業には出ても不真面目で試験で単位が取れなかったりしました。
 一方で、自分の足で学内の面白いことを探し出会うことが楽しくて、サークルやいろんな活動に関わっていました。京大には「すごい先生・学生」が実はいっぱいて自分から動いてはじめてそういう人たちと出会えます。3回生まではそういう感じで課外活動を頑張っていました。
 4回生になって研究室に入ると研究って面白いなと実感しました。未知のものに取り組む面白さもありますが、問題をどう立てるか、どう論理的に答えを導くか、その過程ですね。知識を得るだけでなく、アウトプットをしていくことが僕は面白いと思っています。

※一般教養:京都大学では「教養・共通科目」として実施されています。

 


一般教養と専門、研究ということ

「大学に入って勉強する」と一口に言っても、いろんな先生に話を聞いてディスカッションする、とか、コンピュータでいろいろやってみる、とかいろんな形があると思うけど、大学入学前後で、自分が思っていたことと何か変わった、違ったってことはある?

 


入学したときあまり何も考えていなかったんです。3回生からの専門とそれまでの一般教養について、違いは分かっていましたが選択の際に重要性の違いを意識していませんでした。一般教養で面白そうだと思って授業をとっても、意外に面白くなくて。その流れで専門を選んだんですが、専門を選ぶときはもうちょっと慎重になったほうがいいですね。

 


大学に入ったら自分の専門をガッツリするものだと思っていましたが、一般教養の授業では専門外の講義もたくさんあり、そこではじめて京大ではいろんな研究をやっているんだということを知りました。そのときに絞ることだけでなく広げることも面白いし、大事だと気づきましたね。
 3回生になってから一般教養の授業を受けたんですが、1回生の時と自分の受け止めが違うことを実感しました。やっぱりそれは3年間いろんな人の話を聞いたり学んだりして自分の知識が増えたためかなと思っています。

 


僕が面白いと思えなかった授業は教科書に従った授業かもしれません。一方で、先生が自分の研究について話した授業、リレー講義とかそうなんですけど、これは面白かったです。研究は先生が一生かけて行っているものだから面白いんですね。

 


法学部では一般教養中心に講義形式の授業が多いですが、僕は自分の専門以外の講義にも興味を持つことができたと感じたのが前期でした。後期になってからはゼミ形式の授業が始まり、その中で自分が得た知識を発信する機会が増え、その中で知識が増えたり、自分で考えたり、逆に混沌とすることも増えました。大学での学びを言葉にするのは難しいですが、何ヵ月か京大で過ごしてきて思うことは、「どういう風に学ぶかを考えるところが大学」ということ。高校までは与えられた問題に答えを導き出すことが勉強だったけど、大学では「自分で問いを立て、答えを見つけに行く、見つけたら終わりではなく、それがどう生かされたかを確認する」、そういうサイクル、終わりのない営みをやっていると思いますが、そこが大きな違いだと思います。

 


それが研究なんです、リサーチ、Re search、「探し続ける」ことが研究なんですね。

 


大学に入ると「答えがないことを学ぶ」という噂はみんな知っているんだけど、「答えがないことを学ぶ」ってどういうことかを知らない。ただ、「『分からないこと』が分かった」そのことをみんなが今自分の言葉で語ってくれたね。

 


学びの選択を広げるための「道具」

最初大学に入ったときは、社会学ってもっと実際社会に近い具体的なものだと思っていたんです。でもやってみると社会学の理論は予想以上に哲学に近くて、予想と違いました。

 


今からやり直すなら、どういうことがやりたい?

 


受験からやり直して生物をやりたいです(笑)。生物はずっと小さいときから好きだったから。でも数学があまりにも嫌いで、ハナから理系は諦めたんですが、今から考えると、数学だけで選択肢を切ってしまうのはもったいなかったかなと思っています。

 


今からやればいいんですよ。(笑)

 


文学は人間を対象にした学問、人間の生態学という方向もあるよね。人間も生物だし、昆虫を観察するように人間を観察する、とかね。(笑)

 


昆虫社会学を社会学の観点からやってみるとか。なんでも「こじつけ」だよ。

 


いろんな問題にあらゆる「方便」を持つのが大学だね。

 


高校のときに文系理系で一択か二択のごとく、学部選択で人生を10分の1に、それぞれ狭めると思いこまれているんだけど、学術的な視点を1つ4年間かけて手に入れるだけと考えれば、それによってどんどん広げることができる。早く気付けば気づくほど「道具」は増やしやすくなる。4回生になればなるほど「あと少ししかない」となります。

 


その「道具」がスキルとしてのコンピュータ、英語もそうですね。理系の人が持つスキルとしては数学が大きくて重要だよね。

 


数学と物理が道具だというのは、専門が始まって2回生になってようやく実感して、遅かったと痛感しています。一般教養では自分の関心で選択した人文社会系に比べて、数学や物理は面白いという感じはなかったですし、自分の専門とどうつながるのか、そのときはよく見えていなかったです。専門になって「あぁそう使うのか」「こんなにいっぱい必要なのか」ってよく分かりました。

 


そういうことを説明されないまま、大学ってすぐに一般教養でど~っと進められるので「わからん!」ってなるのかもね。

 


早く専門に触れられたらいいのにね。別に教養をおろそかにするんじゃなく、より教養を身につけたいという動機につなげるために専門を知ることが必要だよね。
 サッカーやラグビーでの欧米と日本の違いって「試合数」なんです。日本では筋トレや走り込みの時間が多くて実際の試合経験数は少ない。欧米では毎日、毎週試合をする中でそのスポーツに必要な筋力を身につけていく。日本では筋トレや走りこみをして腹筋や太ももを強くしているけど、「いつどこで使うか分からない」ものを鍛えていることになる。ゲーム勘がないからいつどの力が必要なのかが分からない。
 専門と教養のバランスも同じことで、これが必要だった、役立ったと後になってからしか分からないことになっている。僕は4回生で工場見学に行ったときに、3回生のときに学んだ生産システムの理論が実際に応用されているのを見て、「この理論ほんとに使うんだ」と思った。もっと早く教えてよ、って。
 鍛えてからやらないと分からないか、というとそうじゃない。分かってからでないと鍛えられないんだよね。さっき出ていたリレー講義 一たとえ研究内容が分からなくても研究者が情熱をもって自分自身の研究テーマを面白く話してくださっているのははじめて専門に触れる場面では重要な機会だよね。ただ最近はリレー講義が減ってしまったから、大学も「筋トレ型」に近づいているということかな(笑)。もし大学がそうなったとしてもみんなは自分で、筋トレ以上に視野を広げることを意識しておくということが大切だね。

 


スキルとしてのコンピュータ

新入生は パソコンのリテラシーが落ちている、といわれていますが、それは「スマホ」によるものだと考えています。

 

—大学でのBYOD化が進むと、そのあたりはどう変わるでしょうか—


パソコンをまるで鉛筆を持ち歩くのと同じようになれば使い方が変わるんじゃない?毎日持ち歩くと、道具の意味が変わってくるよね。スマホもそう。「それで何ができるか」を考える前に、ず~っと持ち歩いていると、こんなこともできる、あんなこともできるって気づくことが増える。

 


僕たちの世代は良くも悪くも生まれた時からパソコンがあったので、僕たちにとっては鉛筆とノートの代わりとしか思っていない。社会人になってパソコンを使うようになった今の大人たちから見た今の状況と、それしか知らない僕たちでは世代として考え方が異なると思います。

 


それはまさに世代ごとで違うことで、物心つく前にあったテクノロジーはテクノロジーとは呼ばないんですよ。今はキーボードを見ずにタイピングできるかという話だけど、Siriで育った子だと話しかけるだけですむわけです。異なる世代間でリレーするときに、両方が歩み寄らないといけないけど、そのときに共通言語として今はパソコンを使ってほしい、ということですよね。
 「道具」は「思考」を支配しているといえる。哲学者の西田幾多郎は、頭から最後まで一気に書き上げた文章を前に戻って推敲することはなかったらしい。誤字脱字はあるけど、文章にはストーリーがあって首尾一貫、思考が順序だっている。でもパソコンで文章を書くと行きつ戻りつで推敲を重ねるために全体としてのまとまりがなくなってしまうこともある。
 いまはスマホの小さな画面の中にある情報だけで判断するけれど、大人であれば新聞とか雑誌など多様なメディアごとに信頼性が高いのはどれで、そうでないのはどれかを考えるようになる。スマホだとどの情報も同じような分量、字体だから、メディアごとに信頼性を分けることをしないで鵜呑みにしてしまう。ニュースは3行で読むとかね。でもそれはある意味で不利益であり、社会の中に受け継がれてきた知識のすべてを受け取れないかもしれず、世の中の価値をしっ
かりと享受できないことにつながるわけです。古くさいアナログの道具や考え方も受け取り、新しいデジタルの中で手に入るものと両方あわせて使えるようにしておいた方がいい。

 


スキルとしての英語

2016年度から京大の英語教育が大きく変化したんだけど、みんなの大学に入ってからの英語学習はどんな感じ?

 


英語はやっているんですが、私の場合は日常生活に使う状況がなくて、リーディングくらいですね。ネイティブの先生の授業を取っていて、英語での授業があるのは新鮮に感じます。

 


英語を話すのが苦手なのでできるだけ英語を話したくないと思っていました。人前での発表には自信がなくて、強制的に機会があればいいと思うんですが…押し付けられるとドロップアウトしそうですね(笑)。

 


1回生はある種の危機感があって、大学から英語学習をプッシュされている印象があります。GORILLA※やばいな、とか(笑)。
 英語で受ける授業について、入学当時はだれがとるのか、と思っていたけど、今は普通に受講しているし、やらないといけないと感じています。それはたぶん2回生より僕たち1回生のほうが強いと思います。

※GORILLA:2016年度から始まった1回生英語の授業外リスニング学習システムの名称。英語履修者全員が全学部共通のリスニング課題に取り組む。

 


英語はいずれ必要になるなら1回生からしっかりやっておいたほうがよかった。

 


英語は「リベラルアーツ」の1つです。リベラルアーツというと「教養を身につけること」と思っている人が多いと思いますが、国際化、多様化する社会の中では、自分のやりたいことができる自由人であるために必要なスキルのことなんです。一次情報、さらにそのおおもとに到達するためにも、英語が必要となります。英語ができないと新しい情報も翻訳されるまでまたないといけなくなりますので、一歩遅れてしか入手できなくなってしまいます。
 そう考えると英語とコンピュータは、みなさんが社会に出て自分がやりたいことをやっていくために必要不可欠なスキルで、あることによってチャンスが広がるスキルです。ぜひ身につけてほしいと思いますね。チャンスの幅、深さが全く異なってきます。

 


旅行に行くのに、飛行機がない時代、ある時代くらいの落差がありますよ。

 


列車だと陸続きなので歩いていけばそのうちたどり着けるけど、飛んでいかないと間に合わないいけないときもあるからね。

 


エッジを知る

まずは左の動画をごらんください。

翻訳はこちら(外部サイト)

 

※出典はこちら


こういうエッジ(学問の境界線)を押している先生たちがいっぱいいる京大なので、そういう先生たちと出会わないと損だなぁと思っています。授業に出たり、直接話をしたり。

 


みんなが研究者になるわけではない、そんな中で研究者養成をすることの意味、学びを深めることの意味は、あのエッジ(学問の境界線)を知っているからわかるんじゃないかな。
 そんなところを押している人がいる、そんなエッジもあるということを知っておくと、自分の戦略も変わってくるので、できるだけ多く知っている方がいいと思う。そこを知らずにすごすのはもったいない。

 


一度どの方向でもいいから、先端にいってみる。先端を知ったら、たぶんどの方向に行ってもやれると私は信じている。

 


研究者にならなくても、「最先端の知識を身につける方法」を知っているというのは大事ですよね。

 


新入生にしたら先まではあまり見えないだろうけど、いろんな道、選択肢があることを知っておくることは大切だと思います。

 


私も留学のとき、半期なら留年せず卒業できたので迷ったんですが、いざ行ってみると向こうの大学ではいろんな経歴で入学する人がいて、4年で卒業にこだわることはないと思いました。半年過ぎたら留年とかはどうでもよくなって、迷わず1年間留学することにしましたが、今ではよかったと思っています。

 


大学入るときに4年で卒業・就職とか決めてしまうともったいないし、そこは白紙にしておいた方がいいかもしれない。あまり白紙すぎても困るけど。(笑)

 


2016年12月1日 吉田食堂にて
肩書・学年等は取材時のものです。